【代表の想い】vol.40[第36回造園感謝祭]


皆さまこんにちは。清水園でございます。

先週ご紹介しました「本校階段改修工事」におきまして、工期中開催された「第36回造園感謝祭」に代表が参加した旨をお伝えしましたが、本日はそちらの詳細についてお話して参ります。


「造園感謝祭」は、日本造園組合連合会に所属する組合員が参加する伊勢神宮奉納行事。第36回は清水園のある宮城県が当番県だったこともあり、代表も参加されたとのこと。


「この年は稀有な年で…宮城県から一度に2本の献木を行いました。例年であれば、内宮に1本しか植えることが出来ないのですが…外宮・内宮に1本ずつの献木となりました。造園感謝祭、36回の歴史の中で外宮に木を植えたのは宮城県だけなのです。」


宮城県は以前(平成2年)にも、外宮にチャボヒバを3本植えた経緯もございます。しかしながら、開催された平成24年は震災の翌年…宮城県は大変な被害の爪痕に苦しんでいる中でした。

献木の準備は根巻きなどの工程を加味し1年ほど前から準備が必要、伊勢神宮側から配慮はされたとの事ですが、当番県という熱意からも献木は決行される運びになったそうです。


「この年は特に人も多く…宮城県からは191人、全国からは577人もの組合員や青年部員が集いました。注目度も高かったことと思います。我々も、外宮に献木するセンダイシダレザクラ掘り取り前には、宮司さんをお招きしご祈祷もしていただくなど…かなりの気合が入っていました。


サクラは3トンもの大きさで、これだけメンバーがいてもそれだけの大きさの樹木の掘り取りや根巻きなどの経験がない方の方が多く、出来る人数も限られてしまいます。ありがたいことに、私自身巨大な樹木の移植経験があったので…ここは先導して進めさせていただきました。」


伊勢神宮献木ともなれば、皆さん慎重になってしまうことでしょう。さて、掘り取り・根巻きを終えた翌日トラックに積み込み、宮城県支部・高野部長直々に大型トラックを運転し宮城県から伊勢までサクラを運びます。


「他のメンバーはバスで移動し、現地入り後外宮にて植栽を行いました。現地でもコモ巻き・幹吊り・一度寝かせてからの立て込み…どの工程も一瞬の油断も隙も許されない状況でしたが、お伊勢さんのご加護もあり無事に吊り上がり、植栽を終えることが出来ました。」


緊張感がひしひしと伝わって参ります…その後、サクラとともに持ち込まれた景石も行い、「土入れ式」と銘打ち、外宮と内宮の代表御二方が土入れを行うなど、ギャラリーも多く現場はとても賑わっていた様子。


「その後、外宮の剪定を行いました。件のチャボヒバ3本と、私は以前の造園感謝祭の際にお話した‘守屋の松’と呼ばれるアカマツを担当致しました。

剪定奉仕終了後の集合写真で、ここまで人数が多いのも印象的ですね…普段は10名程度なのですが、やはり宮城県から多く参加していたとのことで思い出深いです。」



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宮城県が当番県の「第36回造園感謝祭」、3トンものセンダイシダレザクラを無事外宮に植栽し、二日目は内宮の剪定作業です。


「朝礼は礼服で執り行われますが、その後は作業服に着替えて剪定を行います。しかしながらこの日に限って大変な土砂降り…雨の中の作業は慣れてはいるものの、やはり骨の折れる作業です。


内宮の中でも、我々が手入れをするのは観光客などあまり人の立ち入らない場所。そういった見えない部分こそやはり入念に手入れすることで、実際的にも精神的にも美しい庭を保つことが出来ます。

午後からは、翌日いよいよ本番の造園感謝祭…植栽の準備を行い、天気が落ち着きましたので献木の練習を行いました。


私が初めて参加した造園感謝祭では、成人男性16人がかりで材木含め250〜300キロもの献木を行いましたが、今回の献木ではありがたいことにそこまでの重さもなく…木自体が男性一人分の重さ程度だろうということで、宮城県支部・高野部長に神輿に入っていただいて献木の体系練習を行いました。」


なんともアットホームな雰囲気が伝わって参ります。宴会では当コラムでもお馴染みの御手洗さんとの再会も果たし、翌日造園感謝祭の本番を迎えます。


「当日、朝5時頃まで雨が降っていたのですが…これは流石、天照大神のお力でしょう献木となる時刻には雨がピッタリと止んでいました。天気もよく、無事献木を終えることが出来ました。」


この造園感謝祭開催中、代表は以前お話した「本校階段改修工事」を手がけていた真っ只中…でしたので、現場のため飛行機で急いで宮城へ戻られたとのこと。


外宮・内宮にそれぞれ1本ずつ、計2本の献木が行われた異例の第36回造園感謝祭は、造園新聞でも取り上げられその注目度の高さが伺えます。

ちなみに、第40回以降からは単独県開催の制度は変更されたとの事で、現在は全国のブロック制で例年よりも早く当番県が回ってくるようになったそうです。



「私自身は現場の最中、また震災の翌年ということもあり…大変思い出深い造園感謝祭となりました。今回のコラムで度々お話した高野部長のお仕事は大変なものだったと思います。彼の手腕と仕事ぶりがなければ、実施できていなかったかと…。

メンバーが50人いたとして、そのうちの10人は家を流されたという状況でした。家が壊れたり、住む場所がなくなったり…ほとんどの人がそんな厳しい状況の中で、全員一致団結し本当によく頑張ったと思います。」


大変な逆境の中で、造園家としての誇りや熱意があるからこそ実施できた「第36回造園感謝祭」だったのかもしれません。

また、自分が大変な時だからこそ、支え合い共に一つの目標に向かうことの出来る同志の存在というのもかけがえのないものですね。


日頃の造園のお仕事から「ご縁」について想いを馳せることが多々ございますが…やはり人と人との結びつきやあらゆる関わりの中で、我々は生活し成長を遂げているのだと感じます。


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