【代表の想い】vol.58[2022年度造園アカデミー]


皆様こんにちは。清水園でございます。

秋も深まり読書や学びも捗るこの頃…当コラムでは代表から実務や造園にまつわるお話を伺いお伝えしておりますが、かく言う代表自身、日々技術や知識の向上に余念がございません。


方法は様々あるようなのですが、その一つが本日ご紹介する「造園アカデミー」への参加。こちらは、日本造園組合連合が毎年開催しているシンポジウムの一環で、造園業界をはじめ学界・官界から講師をお招きしテーマに則った話題を展開する…といった内容のもの。

昨年の11月にも当コラムにおきまして「令和3年 造園アカデミー会議」という名目でご紹介致しましたが、本年もまたオンラインにて造園アカデミーが開催されたとの事でございます。


「今回で3回目の参加ですが、例年数日に分け開催されるところ…やはりご時世もあり1日のみオンラインでの開催と相成りました。午後1時から6時まで、大変充実した内容でございました。

様々特筆すべきところはあるのですが…全体のテーマとしては‘サスティナブルな造園’といったもの。2025年には横浜で横浜花博が開催されることもあり、リサイクルやサスティナブルといったキーワードをもとに横浜の造園史やパネリストの実例、トークセッションなどが執り行われました。」


環境問題が取り沙汰される中、近年頻繁に耳にするようになった「サスティナブル」や「SDGs」。持続可能かつ、後世により良い形で地球環境を引き継いでいく為に、造園が取り組めることとは何なのか…大変興味深い内容です。

それぞれのお話を具体的に伺って参りたいと思います。


「初めに登壇されたのは、造園家で東京都市大学の特別教授を務められる桶井氏。横浜花博の指針から始まり、日本人と自然の共生についてお話を展開されました。例えば…我々日本人は元々山や巨岩・大木などを信仰する民族です。山に住まうにも人が木々を管理し共生する‘里山’の領域と、自然自体が淘汰され進化を繰り返し…まさに自然本来の姿がありその神聖さから神の領域とされる‘奥山’、この二つの領域を昔から山に持ち生活を営んできました。

また、後の日本庭園…自然を借景すると言う文化は里山から派生したものである、と桶井氏は展開します。


里山も日本庭園も、人の管理下にあるという点は共通していますよね。そこにある木々たちは人が手入れをしないと好き放題伸び過ぎてしまいます…自然と共に身を置くには、それぞれが快適であれるよう人間の方から木々に働きかけなければいけません。」


現代ではコンクリートやアスファルトといった「グレーインフラ」が造園でも多く用いられるようになりましたが、先のお話にもあったよう、人間(日本人)は元来山などを信仰し自然と共存してきた民族。これからは「グリーンインフラ」…自然資本へ配慮することで、環境に優しく生命を尊重した創造性との共存・持続的未来への貢献が一層必要になってくる、と桶井氏は続けます。


「また、これは私が思ったことではあるのですが…自然と近しい暮らしや営みをおこなうというのは、人と人とが近しい暮らしにも繋がるように感じます。天災の多い日本において、隣人の顔が分かり、本当の意味でお互いに助け合い支え合う社会にしていくには、身近なところからの意識改革が必要なのかもしれません。」


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「アカデミー会議副議長で東京農業大学の教授を務めておられる粟野氏は、横浜花博の関連から公園の緑化をベースとした横浜の造園史についてお話しされました。

日本でも特に横浜・長崎・神戸といった港町で、明治以降海外の文化が栄えたことは一般的にもよく知られているように存じます。

中でも横浜における外国人居留地の洋風化の流れというのは、和洋折衷や日本らしさ・洋風らしさといった各々のアイデンティティを模索する流れであったとも言えるように思います。


前置きが長くなってしまいましたが、具体的にどういうことかと申しますと…明治初期の横浜居留地、山手の方では外国人住宅に‘マツ’や‘灯籠’があると‘日本庭園’である、という認識をされていたとの事です。なかなか強引な印象を受けかねませんが、アイコニックでインパクトのあるアイテムをポイントで取り入れることで‘日本的’が成立するというのは、情報も物自体も限られた時代においてはシンプルかつ当然生じ得た曲解なのかもしれません。」


また、外国の方には広い芝生の庭が好まれる…ということで、それぞれのお庭は芝生の面積も増える傾向にあったとのこと。しかしながら…芝生を管理するのは当然のことながら日本人。洋風・日本風の境目も分からず作庭に取り組む為、大きな石を庭の端に置き、そこから芝生が広がる…といった不思議な光景(庭)が出てくることもあったようです。


「日本に初めて洋式公園が登場したのは、明治3年…居留外国人が自己資金で外国人を招聘し作らせた‘山手公園’が最初だったと言われています。その後明治9年には今の横浜スタジアムの前身‘横浜公園’が作られるなど、この頃から本格的に洋の文化が日本の造園技術にももたらされるようになりました。」


造園においても、海外の文化が日本にもたらした影響というのは大変大きかったのですね。


「そうですね、逆もまた然りなのですが…明治23年には‘横浜植木’という企業が球根の輸入業を皮切りに事業を拡大させ、アメリカ支店を設立しアメリカに日本庭園を売る…といった事をおこなっていたそうです。

日本に向けては洋風のものを販売するなどして、文明開花の風を受けながら商売を栄えさせたようですね。日本庭園・盆栽・灯籠が輸出されたことをはじめ、各種博覧会で日本庭園を紹介・受賞したことから海外における日本庭園の認知度は急上昇したようです。」


海外への日本庭園のアイデンティティ獲得から、その後関東大震災における公園面積の拡張まで…シンポジウムの内容は展開を続けられたそう。


「その後、京都や東京で流行した‘山のものを使う’自然主義庭園が、近代横浜では三溪園あたりから確認できるといった、洋と和の在り方だけでなく、その後の造園における美的価値観の推移においても歴史を紐解きながらお話を伺うことができました。やはり歴史を知ることで深まる理解もございますね。」


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「アカデミーの後半は特別講演からスタート致しました。京都芸術大学で教鞭を取られており、アカデミー会議議長も務めておられる尼崎氏による実例紹介です。また、実例紹介ではあるのですが‘オープンな庭づくりの提案’でもあったように感じます。」


我々が‘庭’という言葉を耳にした時…それは家の中から窓の外を眺めた景観や、外側から見れば‘囲われた敷地内’という印象を受けることが多いように思います。一方で、ここで尼崎氏が提案するのはそういった‘囲われた’という概念から庭を解放する、という事。作例を元にお話を伺って参りましょう。


「尼崎氏の作品からは‘自然との融合’というテーマが、あらゆる要素を通して感じることが出来ます。例えば、割った石などを使うことは造園で頻繁にある事なのですが…その‘割り跡’を削ったり磨いたりせずにそのまま使われているのは尼崎作品の特徴の一つです。


割り跡は‘傷’と捉えられることが多くございますが、それを傷ではなく‘痕跡’と捉え廃材を上手く使用されています。‘ある材料を活かす’…古いものを工夫して使うストーリー性のある造園は、とても参考になりますね。」


また、尼崎氏は‘排水が何よりも大事’と言います。


「我々も仕事の中で排水はかなり重要視しますが、排水をそのまま庭に取り入れる・意匠にする…といった点も尼崎作品の特徴です。穴を掘った後に出てきた石で排水を兼ねつつ庭を作った例や、細長い石をあみだくじのように敷き詰め並べて排水を取るなど…かなり手の込んでいる庭の例も拝見することが出来ました。製鉄所近くの鉄を使用し錆の変化を楽しむことのできる公園や、田んぼのある研修センターなど展開も多様です。


何より、‘市中の山居’(街中にいるけれど山中にいるような佇まいの庭)を感じるような‘周りの環境に配慮した’とされる庭はとても意義深いものと感じました。


階段に緑を配していたり、またお隣との境目が分からない庭…四件のお宅がセットバックして作った庭など、とても意匠的・解放的な庭は今後の人々の住まいやコミュニケーションのあり方についても考えさせられる内容でした。」


最後にアカデミー会議副議長の山崎氏と生産者である尾上氏・富澤氏のトークセッションにおいても、そういった‘繋がり’について考えさせられたそう。


「今はデザイナーと生産者の連絡網・コミュニティがしっかりしないと成り立たなくなってきたとの事。生産者側が破棄していたようなものが一転、現在では需要が出てきたり…いわゆる大量生産の時代ではなくなってきたとの事です。

資材を作るのには5年10年と必要な分、‘使いたい人の欲しいものが分かれば楽なのに…’という切実な想いを聞くことが出来ました。もちろん顔を見てのコミュニケーションも大切ですし、一方でSNSがあるからこそこれから発展可能性のあるものも存在するように感じています。」