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【代表の想い】vol.76[現代美術家再依頼]


皆様こんにちは。清水園でございます。

さて、弊社の作業場兼倉庫で火災が発生してから早1年が経過し、先日無事に新倉庫も完成した次第ですが…代表としては、火災の際に燃えてしまった刈込や手鋏について、やはり捨て去ることの出来ない想いがおありだったご様子。


「今はもう手に入らない村上のハサミというだけではなく、やはり初代から譲り受けたものをはじめ…ハサミは清水園を語る上で欠かせない、代わりの効かないものでございました。修理をし倉庫に飾る予定にはしていたものの、その‘追悼’の想いを何か形に出来ないものか…とかねてから思案していた次第です。」


そこで代表は、以前昭和42年の刈込及び昭和39年の手鋏の写真をモチーフに作品を作って下さった、現代美術家の栗棟美里(くりむねみさと)さんに相談することに。栗棟さんは「私の手がけているシリーズの一つに、花がモチーフですが‘追悼’をメッセージに込めた作品がございます。それに刈込・手鋏の写真を用いるのはいかがでしょう。」とご提案くださったそう。


「それならば、以前栗棟さんが作って下さった‘ZOUEN’という刈込・手鋏の写真の上に金継ぎを重ねた作品がございましたので…それに並べるような形で1点、新しい倉庫に修理したハサミと並べるような形で1点、サイズ違いでお作りいただくのはいかがでしょう…とお伝えしたところ、「ぜひやってみましょう。」とご快諾いただいた次第です。」


使用する写真は‘ZOUEN’で使用した写真と同じもの。栗棟さんご自身は「同じ写真で異なる作品を制作したことがないので…私としても取り組み甲斐があります。」とおっしゃっていたそうです。


栗棟さんにご依頼をしてからおよそ1ヶ月後、作品と解説文が清水園に届きました。

‘ZOUEN’が白いマットでの額装・金継ぎを施した画面だったのに対し、届いた作品は黒いマットでの額装・写真には金継ぎではなく‘灰’が重ねられています。栗棟さん曰く、作品は《Condolence》…‘弔い’というタイトルのシリーズだそうです。


「事務所に並べて飾った際、その白と黒の対比が印象的で…同じ写真を使用しているにも関わらず、全く異なる作品だということがすぐ伝わって参りました。栗棟さん曰く、灰を写真に重ねる際は写真に水のりを重ねてから乾かないうちに作業しなければならない…との事で、失敗のきかない‘一発勝負’の制作方法が作品に良い緊張感を与えているように感じました。

倉庫には、事務所に飾っているものと同じ写真ですが小さなサイズでお作り頂き、ハサミと共に飾らせていただきました。倉庫の方は展示場と申しますか…歴史館のように清水園のエッセンスが詰まっているなと改めて感じる次第です。」


倉庫の入り口を挟むように、初代の法被とハサミが並びます。法被の背には「庭喜」…初代が「喜平」だった事から、そのようにデザインされています。初代は雪吊りやイベントの際に、その法被をよくお召しだったようです。腹巻き・脚半と共に飾られています。ハサミは、刈込が左から初代のもの2点・代表のもの1点。手鋏が左から初代のもの・初代のお兄様のもの・2代目のもの・代表のもの…と並びます。


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Condolence…日本語で‘弔い’と題された作品は、文字通り清水園のハサミへの弔いの意思が表現されています。作品に同封されていた解説文をご紹介したいと存じます。


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タイトル|Condolence/Hasami

素材|インクジェットプリント(竹和紙)・灰


シリーズ「Condolence」は、印刷された写真の上に灰を重ねたミクストメディア。弔いと再生の概念を持つ灰を用いる事で、朽ち果てて行く被写体への弔いの意思と繋がり続ける生命の輪廻を表現しています。《Condolence/Hasami》は、2022年3月21日に発生した清水園・倉庫火災の被害を受けたハサミへの弔いと、途切れることのない想いが主題となっています。


作品に用いられたのは、火災以前三代目により撮影された刈込鋏及び手鋏の写真。金継ぎを用いて造園の世界観を表現した前作《ZOUEN》に使用したものと同じ写真を使用しています。三代目に引き継がれた昭和42年・昭和39年以前のハサミは、清水園の歴史を語る上で欠かす事の出来ない存在です。


ハサミは、火災により焼きが入りそのままでは非常に欠けやすい状態となってしまいました。修理を受けた現在は新品同様の姿形ではあるものの、耐久面を考慮すると現役で使用することは難しい状態です。


「形あるものはいつか壊れる」諸行無常の概念は古くから日本人の精神に根付く思想ですが、突如として訪れる大きな変化を前に、人はそれを恐れ受け入れることを拒みたくなることも然りです。しかしながらそれは本来とても身近で普遍たるからこそ、愛するもの身近なものを通して我々に「生命とは・時間とは・存在とは 何か」を説きます。


被写体である刈込鋏及び手鋏は灰が重なり作品として生まれ変わる事で、「不変で在る物は無い」万物流転たる本質について我々に語りかけます。作品と対峙し自覚・内省を促された時、我々は自身とこの世界に気づきを得るのかもしれません。


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清水園の歴史を踏まえた上で、人智を越えた存在の有り様に言及している作品…皆様も清水園へお越しの際は、ぜひ作品も併せてご高覧いただけますと幸いです。



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